清めの塩って?

割引

お葬式に参列し、返礼品などと一緒に清めの塩がついてこなかったことはありますか?
ある程度お葬式の経験が多い方であれば、そのようなことも1度や2度はあったかもしれません。

浄土真宗では「自分の肉親は穢れ(けがれ)なのか?」「穢れだと思うから清めが必要になってしまう」
「汚いと思うのは迷信であり、仏教とは関係のない風習ですので清めは無くてもよいのです」
などと言い、お寺さんから清め塩を抜くように指示される場合があるのです。

確かに、穢れていないのですから清める必要というのもありませんね。

しかし、神道では清めの塩を使いますし、そこには神道の信じる説明もあります。
「遺体保存技術の未だ無かった時代、人々は遺体が腐敗していくの「穢れ」として捉えていました。
神道では、人が亡くなることで人々が抱く悲しい気持ちや寂しい気持ちを「穢れ」として捉えます。穢れは「気枯れ」とも書き、悲しみなどで気(エネルギー)がなくなった状態に新たな気を取り込めるような状態にすることを清めと言うのです。」

そのような説明であるのなら、ご遺体は汚れ物として扱われるわけではありません。塩を撒くのもいいのではないかと思います。

同じ浄土真宗のお寺でも、宗派や住職の考え方次第で清めに対する考え方は異なります。昔からの風習ですし、そこまで口を出す必要もないのではと考える人も多く、一概にこれがよいと断定するのは難しいことです。

では、「清め」について少し解説をさせていただきます。

清めとは、海で行われるものでした。海は神々の住むもう一つの世界と考えられていたのです。ですので、海水の中に身を沈めることが「身を清める」ということでした。海には人間の不浄なものを洗い流す力があると考えられていたのです。これを禊(ミソギ)といいます。
この儀式が簡略化されて、やがて海草類、昆布やワカメなどを体に巻いて海に入ったことにしようとなりました。
そしてそれがさらに簡略化されて、身体に塩を撒くようになったのです。

ただ、現在のお清めの塩には、「工業塩なので食べられません」という表示があります。もし海の儀式が簡略化したものであれば、海から作られた天然塩でなければいけないような気がします。実際そこまで考えてられてはいないようです。

これ以外にも諸説あり、浄土真宗の中で清めの塩に関する論争は落ち着くことがないのでしょう。
浄土真宗の多いある地域では、清めの塩を廃止したといったお話もあるようです。

僕は、その人の信じる解釈によってどちらでもよいと思います。

以前、このお話に関して少し困ったことが起きたことがあります。

「どうしてお清めの塩が入ってないの?塩は必ずお葬式に行くとついてくるものじゃない?」

と、怒って大騒ぎする方がいらっしゃったのです。おそらくその周りに居る大半の人にとっては、そこまで気にするようなことではないと思います。由来なども詳しく知らなければこだわりもありませんし、みなさんと同じようにすればいいと思うでしょう。
もし塩が入っておらず、どうしても清めの塩が欲しいときは会葬御礼の担当者に「塩をください」と伝えてみてください。大抵は何処からともなく塩が出てきますから。特に欲しいと思う人はこんなふうに個人的にそっとお願いすればよい話ですし、どちらでもよいという方はそのまま静かに過ごせばよいお話です。

だからやはり思うのです、

そんなに大騒ぎするようなことかな、と。